昨日の電気釜騒動について、うっちさんよりメールをいただき、メーカーにクレームしてみたら、とアドバイスをいただいた。
そういえば、確かにその通り。そんなことも気づかなかった。
私は多分、無意識に以下のように考えていたのだと思う。
メーカーにクレームしたって、時間の無駄。
何か行動に起こす前に先に「どうせダメだから」とあきらめてしまっていたのだ。
なぜかというと、タイで、商品の品質についてクレームして、販売者、製作者からきちんとした対応のあったことがないから。
会社で購入した移動式のホワイトボード。最初に納入されたとき、その場で組み立ててくれたのだけれど、台がグラグラしていた。倒れたら危ないから、直してください。とお願いして、そのまま持ち帰ってもらった。お店から連絡があり、修理はバンコクで行うので、1週間程時間がかかる、という。
1週間後、再納品。 グラグラはちっとも直っていなかった。
「・・・ぜんぜん直ってないじゃない」
「俺、知らね」
納品してくれたのは、ドライバーさんだったので、事情は知らない、とのことだった。
再びお店に電話して、またバンコクで修理してもらっても、しっかり直って納品される可能性は
非常に低い。それを何度も繰り返すのは、時間の無駄だ。
その時点であきらめて、そのグラグラを受け取った。
そんなことを繰り返すと、「根負けせずに、クレームを繰り返して望みの品質のものを手に入れる」
それだけの価値のある物かどうか、無意識に天秤にかけるようになる。
そして、それだけの労力と時間が無駄、と判断すれば、「こんなもんだ」とあきらめる。
そんな処世術が身についてしまう。
こちらのお願いを理解してくれない人、きちんと聞いてくれない人、誠意ある対応をとってくれない人、そういう人に対して、タイの人は、
あの店員(部下)はまだ子供(幼い)だから
ああいう人間はきちんとした教育を受けていないから
責任感がないから
といって、「相手が自分と異なる世界に住んでいる」ということを理由にして自分の気持ちを収める。
「マイペンライ。仕方ない」
それは、自分が疲れないための、精神的な予防策のようなもの。
知らず知らず、私自身も、その考え方を身に付けてしまったようだ。
本当は、これではいけないのだと思う。
納得できるまで追及する、ということがなければ、何事も発展しない。
少なくとも、自分の仕事関連は、「マイペンライ」の入り込む隙を作ってはいけないな、と思った。
「こんなもんか」と思っている日常で、「これは!」と思うほど、楽しげに、プライドを持って仕事をしているタイの人に出会うと、本当に嬉しくなる。
それは、郵便局の局員さんだったり、政府機関の役人さんだったりするんだけれど、そういう人達との出会いはとても貴重。
プロとしての誇りを持って仕事をする。
いつもこの気持ちを忘れないでいたい。