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2005年12月31日

年末の奇跡

ずっと、心ひそかに憧れていた人がいた。

その人の話だけは耳にしていたけれど、直接会ったことはなかった。
縁あって、その人に連絡を取る機会に恵まれた。

そうしたら・・・その人も、私のことをホームページを見て知っていてくれた。

なんていう偶然。なんていう奇跡。
きっとこれは、神様からの贈り物。

今年は、本当に、素敵な出会いに恵まれた。

趣味を同じくする方と、偶然の出来事から知り合いになることができ、素晴らしい時間を共有させていただいたこと。
妻となり、母となった後でも、プロであり続けようとされる方に、良い刺激を受けたこと。
肩の力を抜いて、いつも優しい笑顔で接してくれる方に、癒されたこと。
そして、接するたびに、自分のいたらなさを気づかせてくださる、我が師。

来年も、たくさんの人と素敵な出会いがありますように。そのためにも、自分が精進しないとね。

今年、mixiで、オンラインの世界で、オフラインの世界で、私に関わってくれた全てのかたがたに、
心から、ありがとう。
2006年が、皆様にとって素敵な年となりますように。

2005年12月28日

株主のもの!

今月から、経理の勉強をはじめた。
はじめて、いきなりびっくりである。
何がびっくりって、賃借対照表の項目名。

「資産」=「シンサップ」
「負債」=「ニーシン」
までは分かった。

問題は、その次。

「資本」=「スワン・コーン・プートゥーフン」

株主のもの・・・ ストレートな表現で、目から鱗。
しかも、その資本の欄に、会社の利益も記入される。

会社は、お客様のものでもなくて、従業員様のものでもなくて
やはり、株主のものなのだ。
資本主義社会では当たり前のことだけれど、う〜む、とうなってしまった。

あまりはっきり意識したことがなかった部分だけに、この発見は、貴重な学びとなった。

2005年12月26日

こだわりのタイ料理

タイで生活を始めてしばらくすると、アローイなタイ料理と言えども、全ての店が美味しいわけではないらしい、という当たり前のことに気づき始める。
もちろん、美味しくないというのは、「自分にとって」であって、他人にとって美味しいかもしれないが。
例えば、辛いお店は、私にとっては美味しい不味い以前に、縁のない店である。

最近発見した「美味しいお店」はナムトーフー屋さん。
ナムトーフーとは、豆乳のことで、朝夕街角に湯気のたった豆乳を食べさせてくれる屋台が出る。
そう。飲ませて、ではなく、食べさせてくれるのだ。
豆乳をコップにいれてグイッではなく、小さなお椀によそってもらい、それをレンゲですくって食べる。テイクアウトの場合はビニール袋に入れてくれる。
もちろん、砂糖入り。甘くておいしいおやつなのだ。
砂糖だけではなく、「クルアン」と呼ばれる具も入る。

具には各店のこだわりがあって、小豆、かぼちゃ、トウモロコシ、緑豆、キビなどの野菜、食物繊維系に強い店もあれば、野菜はあまりない店もある。どの店にも共通しているのがサークーと呼ばれるタピオカ(大粒)。
この大粒タピオカの茹で加減によって、私にとっての美味しい店とそうでない店が決まる。

ゆですぎで、歯ごたえが残っていない店は、不合格。どうしてもその店で買うことになった時にはタピオカなしで頼む。はごたえのないタピオカほど不味いものはない。(ただし、入れ歯のおじいさんおばあさんには歯ごたえが残っているタピオカは食べづらいかもしれない)
しっかりモチモチの歯ごたえが残っている店は合格。そういうお店のナムトーフーは、他の具を減らしてタピオカをたくさん入れてもらう。たまには気分で、フォーン(湯葉)も入れてもらう。たいていのナムトーフー屋さんでは、豆乳を温めているうちに発生する湯葉を取り除きながら小袋に集めていて、頼むとそれを具として使ってくれるのだ。ツウはフォーンのみ注文し、砂糖をかけて食べたりもする。豆乳に入れるとシャワシャワ歯ごたえでなかなか楽しい。

もう一つの美味しい店の要因は、豆乳そのもの。
テイクアウトで購入して冷蔵庫に保存した時、翌日豆乳が固まってしまうものは、増量に牛乳を入れている店らしい、とは、我が家のモーリさんがどこからか仕入れてきた噂話で、正確なところはわからないけれど、たしかに、豆乳の味がしっかりしているところ、なんとなく薄味のところ、これも店によって様々。
すこし緑色がついているのは、豆乳鍋の中にバイトゥーイという葉を入れて香り付けしている店。ほのかな香りが優しい。

最近開店したばかりのナムトーフー屋さんは、バイトゥーイこそ入れていないものの、タピオカの歯ごたえがしっかりして、豆乳の味も濃くておいしい。
さらにうれしいのが隣でパートンゴーとパオを揚げていること。揚げたての熱々を買う事ができるのだ。
アツアツのパオとおいしいナムトーフーの組み合わせは最強で、最近毎日のように食べている。

願わくば、移り変わりの激しいタイの屋台社会の中で、この屋台が長く長く続いてくれますように。

2005年12月24日

印刷と色

自慢の一品である、会社のメモ帳が到着した。
ワクワクしながら開けてみて、ボーゼン。

色が全然違う!!

もともとスタッフのデザインでは、濃い青と赤を使っていた。
しかし、会社に到着したのは、妙に明るい青とオレンジ色に近い朱色。

正直、最初のデザインの時の美しさが半減している。がっかりである。
IT部門責任者が恐れていた通りになってしまった。

カラーリングについても独学で知識を身につけているIT部門責任者によると、モニターで見る色というのは、1台1台のモニターごとに微妙に異なるそうで、自分のPCでデザインしたものを他のPCで再現すると色が異なっていたりするらしい。
(ためしに、デザインソフトで作成してあった画をPDFに印刷してみたら、はっきり認識できるほど色がずれていた。私にとっては、驚きの体験だった)

だから、印刷所にデザインを送る際には、色番号を指定したりして、色のずれが発生しないように注意する必要がある。
そのことはIT責任者からメモ作成スタッフに注意事項として伝えられていた。
でも、スタッフはピンとこなかったらしい。
印刷所と色の打ち合わせをすることなく、デザインを送信しただけだった。印刷所からも色の確認などの作業が行なわれず、そのまま印刷が開始され、出来上がったのは、我々のイメージとは異なる作品。

印刷所に問合せをすると、電話応対した技術者は不満そうに言った。
「画面上で表示される色と印刷の色が異なるのは当たり前でしょう」

当たり前の一言で済まされては困るのである。

色についての打ち合わせを行なわなかったスタッフも悪いけれど、印刷所も、色に関する問題があることを認識しているのであれば、印刷前に顧客としっかり打ち合わせをするべきなのではないか?
問題が発生する可能性を放置して「当たり前のこと」と言ってしまうのは、いかがなものか。

この問題は新しい問題ではなく、
タイの印刷業界とデザイン業界の間で長い間論争となっているらしい。

印刷業界の言い分:問題があることが分かりきっているのに、デザイン業界はいつまでたっても、画面上の色しか見ようとしない。
デザイン業界の言い分:問題があることが分かっているのに、印刷業界は、仕上がりの色をデザインの色に合わせる努力をしない。

以前日本の印刷会社でも、会社のグッズを作成したことがあったけれど、その際には、色がデザインした者のイメージに一致するかどうか、慎重な打ち合わせを重ねた上で、実際の印刷を開始したので、色のずれはほとんど発生しなかった。(一部ずれていたけれど、気になるほどではなかった)

少なくとも、仕上がりの色を顧客の指定の色に近づける調整を行なうことは、印刷所の仕事だと思う。
その意識が印刷所にない以上、これから何か発注する時には、色番の指定はもちろん、現物を見ながらの打ち合わせが欠かせないな、と実感した。

雑誌などで、*実物と写真の色は異なることがあります という注意書きがしてあることがあるけれど、あれの意味することが今回ようやく分かった。

それにしても、最後の最後の落とし穴で不本意なカラーで印刷してしまったメモ帳の数は1000個。
これを配り終えないかぎり、会社スタッフが作成してくれた美しいデザインのメモ帳が印刷されることはない・・・。
来年中には、美しいデザインのメモ帳を作成できますように!!

2005年12月23日

優先順位と平行作業

学生の頃、タイからの留学生と知り合った。
彼女は私のいた大学の日本語学科に日本語研究に来ていたのだった。
知り合ったのは、彼女が日本に来た直後のこと。
話していて驚いたのは、彼女がまだ自分の住むアパートも決まっておらず、友人の家に居候していたこと。それなのに、すでに大学の講義を受講しに来ていたこと。

・・・心の底から感嘆した。

私ならきっと、住む場所を探して、大家さんとの契約を済ませ、アパートに荷物を運び込み、生活に必要な数々の用品(フライパンとかシャンプーとか)をそろえ、「よし。これでなんとか生活していけるぞ」と落ち着くまでは、学校に行こうなどとは考えないだろう。と思った。

それなのに彼女は、アパートを探している最中で、自分の荷物もダンボールから出ていない状態で、まずは講義を受けに来ていたのだ。
そんな彼女の姿勢に驚嘆するとともに、さすがに、海外に留学に来るような優秀な人は違うなぁと感心したことを覚えている。

私のように「まずはこちらを片付けてから」「こちらが落ち着いてから」というのはつまり、「一度に一つのことしかできない」ということかもしれない。

急に学生時代の出来事を思い出したのは、先日も「できる人」の仕事の進め方を見せ付けられた出来事があったから。
尊敬する我が師は、顧問として、講師として、日本各地を飛び回っている。どこにでもPCを持ち歩き、どこに行ってもメール返信、原稿執筆をいつもと同じペースで続けている。
そして、出張先から、二日前に私に書くと言ってくれたばかりの原稿を送ってくれた。

「は、早いですね。・・・いただけるのは、ご自宅に戻られてからだと思っていました」
「送ると言ってから、もう二日も経っているじゃないか」
「・・・(絶句)」

一方私は、といえば、同時期に我が師に送ると約束していた資料を、まだまとめてもいなかった。

わが師=アウェー(出張先に滞在中)
私=ホーム(事務所から移動せず)

この差は一体・・・。

ものすごく恥ずかしくなって、その夜のうちに資料をまとめて我が師に送信した。
環境の変化に動ずることなく、優先事項を見失わずに平行して物事を進められるのは「できる人」に共通した特徴だと思う。

私も、優先事項と平行作業を常に意識しながら行動していこう、と心に誓った。

2005年12月22日

実践

自分がすでに読んだことのある本の書評に、おや?と思うことがある。
「そんなこと書いてあったっけ?」
読み直してみると、確かに書いてある。
最初に読んだ時には、サラッと読み流して、特に印象に残らなかったのだ。

本の種類にもよるけれど、私の場合、本全体に書いてある量の20%も頭に残ればよい方だと思う。
その時自分が一番求めている情報、自分が一番興味のあること、それらに関連することは、印象深く読み、記憶にも残る。
その他の情報というのは、印象にも残らない。

でも、それが別の人のフィルターを通すと、全く別の読み方、印象となる。そんなことも分かるから、書評というのは面白い。

同じ人間が読んでも、読む時期、状態によって、感じ方も違うものね。

先日何気なく手にした神田昌典さんの本に、面白いことが書いてあった。
「神田さんの本のおかげで成功することができました!」
とお礼を言ってきたビジネスパーソンに、どんなことを実践したのか、と聞いたところ、神田さんが書いた覚えのないことをやって成功していたのだという。
その人は、神田さんの本を読んで、著者の意図とは異なる受け止め方をした。
でも、それを信じて素直に実行していったら成功して、それを神田さんのおかげだと言っている。
つまり、どんなきっかけでもいいから、何か信じるものをつかんで、行動していけば、何かの形になる、ということじゃなかろうか。

もちろん、正しい方法で進んでいけば最短時間で結果を出すことができるけれど、仮に誤った方法でもがむしゃらに頑張っていると、それなりの結果が出るものなんだと思う。多少遠回りはするかもしれないけれど。

やらないよりは、やる方が良い。ってことなのかな。

2005年12月21日

不思議食材(カラカラ海老)

いつもはただ通りすぎているだけの市場の乾物屋さんの店頭で、面白いものを発見した。
振ったらカラカラと音がしそうな、乾燥海老。

チョンブリも海の街なんで、干し海老というと、ゴロゴロとした太ったものばかり。
高級食材だかどうだか知らないけれど、私はこの干し海老が苦手。
買ってきた料理に入っている分にはかまわないけれど、自分で料理に使うことはあまりない。

なぜならば、料理に使おうと水で戻した途端、ふやけた様な食感で、多少の生臭ささえ出てきてしまうのだもの。調理の仕方が下手なのかもしれないけれど、とにかく敬遠していた食材だった。

ところが、先日発見したこのカラカラ海老は、体が小さくて、殻ごと干してあるけれども平べったくて、そのまま料理に使えてしまう。そのまま使えるので、ふやけた食感も、生臭さもない!!
海老のオレンジ色が映えるので、白菜やほうれん草のおひたしにふりかけてもきれいだし、スープに入れてもおいしい。(ジャガイモスープに入れたら、ジャガイモの甘味が引き出されて、それはそれは美味だった!!)
そのまま食べるとしょっぱいのだけれど、味付けに利用すれば、大丈夫。
昨日は大根サラダに混ぜ込んでみた。
大根の千切りにマヨネーズをちょこっと混ぜて、大根の辛味を抜いた後に、ドレッシング代わりにこの海老を混ぜ込むだけで、りっぱなサラダに!!

ゴマや青菜と混ぜてふりかけにも出来そうだし、なんとも応用範囲の広そうな便利な食材を発見したものだと思う。

2005年12月20日

眠りに関する一考察

NHKワールドを通じて見る日本の様子では「極寒」という言葉がふさわしい寒さっぷりのようだが、タイも寒い。 
ものすごく、寒い。
在タイの皆様はきっと同意してくれるはず。

しかーし、冷たい風がビュービューと吹き荒れるベランダにたわむれに置いてみた温度計が指した温度は
「18度」
なんとも気合の入らない数字である。
日本で本物の寒さに耐えている皆さんには、怒られそうな数字である。
それでも、常夏の国で暑さに耐えてきた体には、「体感温度氷点下」くらいの厳しい寒さに感じられる。

この寒さで、眠りが深くなった。
4月に日本に帰省した時に気づいたのだが、人間は、大人も子供も、寒さに震えながら暖かい布団に身を包んで寝ると、眠りが深くなるようだ。
いつもより長時間ぐっすり眠れてしまうし、子供達も、ちょっとやそっとの物音ではピクリともしない。

冬眠と言うのは大げさだけれど、それに近い体の仕組みが働いているのかもしれない。

と言うわけで、今朝もぐっすり。目覚ましの音も耳に入らず、全員で寝坊。
恐るべし寒さである。

2005年12月19日

学芸会

先週、我が事務所始まって以来の大行事が開催された。
尊敬する師から

あなたの今やっていることは、「サポーティング インダストリー」という立派な仕事です。

と励まされながら、なんとかこの日を迎えることができた。
地元タイ東部を中心とした日系企業の皆さんをご招待しての、セミナーの開催。
講師は、日タイビジネスの世界で大変有名な方。
その方の講演というだけで、わざわざバンコクから参加された方もいらしたほど。

もちろん、セミナーの開催は初めての経験で、セミナー開催に当たっての準備会議の際にも
「必要な準備は?」との問いかけに
スタッフが真っ先に挙げたのが
「コーヒーブレークの用意」
正直、私もそれ以外思い浮かばなかった(汗)

そんな状態からのスタートで、周囲の方に教えていただきながら、皆で準備を進めた。
途中、アドバイスくださる方が大勢いて、「あちらを立てればこちらが立たず」状態に陥って困惑したのも事実。
それでも最終的には、定員を上回る方からお申し込みをいただき、盛況のうちに終了することができた。

当日、指示されなくても自宅から持参した大きなかごに、コップやらティッシュやら必要備品を詰め込んでセミナー会場セッティングに大活躍してくれた我がスタッフに大感謝。
名札準備、会場にセットする花の準備など、なにやら学芸会の準備をするノリで楽しく作業ができてとてもよかったと思う。
振り返ってみれば、少人数のスタッフでかなり立派なことをやり遂げることができたような気がする。
というわけで、今週は学芸会の打ち上げを開催!!

餃子を知らない、というスタッフを日本食に連れて行きます。
日本食なら、かなり頻繁に連れて行ってるのに、なぜ知らなかったかな〜。餃子。
餃子を知らない、というスタッフに、知ってるスタッフが説明したときのセリフが絶妙だった。
「あれだよ。ガリーパップに似てるやつ!」
・・・形は似ているかもしれない。

2005年12月17日

こんなところで・・・

来ました。来ちゃいましたよ!!
「数学」の教科書。 
経理の勉強を基礎から始めてみようか、と、張り切って申し込んだ通信大学の経理コース。
その最初の授業は「数学」だ〜(号泣)

まさか、こんなところで再会するとは・・・。
高校時代に私が文系を選択した理由は、「英語が好き」そして「数学分かんない」だったっけ。

それなのに・・・。なんですか?このずらっとならんだ、恐ろしい言葉の数々は。
命題・行列・数列・関数・微分積分・代数幾何・統計
眺めているだけで、めまいが。

サラッと教科書をめくったぷーしっとさん曰く、「高校程度だから大丈夫じゃないかな」
いや、だから、その高校レベルが難しいんだってば(汗)

と、泣き言も言ってられないので、とりあえず、あたってくだけろ。
分からないところは、ぷーしっとさんが高校時代に使っていた日本語の参考書を頼りに、やってみよう。
こうやってブログに書いちゃえば、簡単に挫折することもないだろうし。

日頃から、自らを「数字オンチの諸君!」の一員である、と痛感していたので、この際、数字に触れることで少しは数学センスというものを身につけられたらラッキー。
というわけで、少し早いけれど、2006年の目標(の一つ)が決定。
「経理の勉強を通して数学センスを身に付ける」

会社のスタッフ含め、総勢4名で再び学生に戻る今後の4年間。
楽しくなりそうな雰囲気ですよ〜(*^_^*)

2005年12月16日

新たな流行?

異変に気づいたのは、数ヶ月前。

自宅から数キロ離れた場所に、「ジム」が誕生した。
まさか〜!!
と思った。
バンコクのホテルならともかく、こののんびりした海の街で、ジムを作っても、はやらないでしょう・・・と。

でも、その前を通るたびに、大勢の人がランニングマシーンで走っているのが見えて、意外に思っていた。
走る場所なら、健康公園も、海岸も、どこにだってあるのに。

ちなみに、ジムというのは、ホンテウ(長屋)を横に二部屋利用してあり、商店街の並びにある。
道路側はガラス張りなので、外からよく見えるのだけれど、所狭しとジムの器材が並んでいて、息苦しさすら感じる。

でも、人が入っているんだな〜。

知人の医師が、夜中の勤務を終えてからジムで汗を流す、と言っていたけれど、私がそのジムの前を通るのは、昼間。 ジムで走っているらしい人たちは、女性が多い。この時間にジムに通える、ということは、仕事をしていないか、自営業か。

とにかく、人が結構入っていることを、とても意外に思っていた今日この頃。
なんと、自宅近くに、第2号店を発見!!(チェーン店かどうかは不明)

これは・・・
チャーカイムックとかカフェーソットとか、流行り物が急激に増えたあの時に似ている。
そして、街のいたるところでエアロビしている人々を見かけるようになったあの時に似ている。

エアロビは、意外にも長続きしているようだし、もしかすると、ジム通いがこれからのタイ東部の人々の流行となる日もそう遠くはないかもしれない。

2005年12月15日

恩返し

知人を通じて、1冊の物語集の翻訳を打診された。

タイ赤十字社のプロジェクトで、エイズ孤児の子供達が直面している問題について、特に医療関係者から受けている偏見や差別について、実話に基づいた物語とし、本にして医療関係者の間に配布し、事態の改善を図ることを目的としている。

タイ語版から、各国語への翻訳が終了し、残すは日本語訳のみ、ということだった。

お引き受けするかどうか、正直少し悩んだ。
先方の予算は、ビジネスとしてお受けするには少ない予算で、どちらかというとボランティアとしてお引き受けするお仕事。
まだ、会社として安定しているとは言い難い状況の中、中途半端にお引き受けしていいのだろうか。という迷いがあった。今は、会社のことに全力投球すべきなのではないか、と考えた。

でも、プロジェクト推進担当の医師と話をしていると、
「すでに6ヶ国語への翻訳が終了し、残すは日本語のみなのですが、どうしても翻訳者さんが見つからなくて」
ということだった。スペイン語、フランス語、中国語・・・全て完了。日本語だけ、まだ担当者が見つからない。 そんな話を聞いたら、「やるしかないでしょう」と思った。

社会貢献なんて大げさなことを考えなくても、私には、お引き受けしなければならない事情もあったのだ。

まだ、タイで車の運転を始めて間もない頃の出来事。
必要に迫られて初めて遠出をした帰り、ショッピングセンターに寄った。なんとか駐車場に車を停車させた時、緊張の糸が切れた私は、なんとも初歩的な大ミスを犯してしまった。
車のキーを抜かずに、ドアをロックしてしまったのだ。
しかも、そのことを買い物を終えて車を開けようと鍵を探すまで気づかなかった。
牛乳やらチーズやらの生鮮食品を両手にぶら下げて、呆然と立ち尽くした私。
途方にくれて、ショッピングセンターの警備員さんに相談。
警備員さん→警備主任さん→ショッピングセンター横にあるホンダサービスセンターエンジニア
と話が伝わり、お昼休憩に出かけるところだったホンダのエンジニアが駆けつけてくれた。
そして、祈る気持ちで見守る私の前で、いとも簡単に、ドアを開けてくれたのだ。

その時私は痛烈に思った。

かっこいい・・・

自分の持てる技術で、他人にとっての難問をいとも簡単に解決してみせるその姿に、猛烈にあこがれた。いつか私も、自分の持てる技術で、何気なく、苦労せず、ちょいっと気軽に、困っている人のお手伝いができたらいいな。

あの時の思いを実現できる機会なんではなかろうか。

そう思って、お引き受けすることを決めた。
もちろん、1冊の本の翻訳は、簡単な仕事ではないけれど、幸いにも私は翻訳を仕事としている。他の分野よりは、翻訳が得意だし、それを実現する環境にも恵まれている。

そうしてお引き受けしたのが2ヶ月くらい前だろうか。本業の関係で翻訳を進められなかった期間をはさんで、ようやく、翻訳が完成した。
現在、医療専門用語に詳しい強力な応援団の手によって、内容の確認作業を行っている。

あの時私に目標の一つを与えてくれたエンジニアに、ささやかながら恩返し。
そして、プロジェクト責任者である医師への、ちょっとしたクリスマスプレゼントになればいいな。

2005年12月14日

不本意ながら・・・

約束の時間が迫っていたけれど、今日を逃すと友達の誕生日プレゼントを買う機会がなくなってしまう。
ということで、少し急いで、デパートに寄り道をした。

無事に買い物を済ませて、立体駐車場での出来事。

係員がピリピリと笛を吹きながら、誘導してくれたので、ついうっかりその誘導に従って
ハンドルをきり、坂を下りた。下りながら、「?なんか違う・・・??」
矢印が目に入って気が付いた。
私は・・・登り用の坂道を下っていた(泣)

タイの人がたまに、
「どうせ登りの車が来ていないから大丈夫」
と降りるのは目撃していた。
「危ないなー・・・」と思いつつも、他人事だったので、あまり気にしていなかった。
でも、自分では絶対にしない、と決めていた。

だって、登り車両が来ているかどうか、運転席から確認することは難しい。
下手すれば正面衝突である。
だから、しない。と決めていた。
いくら昼間のガラガラの駐車場でも、決められたルートに従って、車を走らせることにしていた。

それなのに・・・(涙)

なんで係員が逆走を誘導するのよう!!

おそらく、係員は、車のエンジン音がしないから、登ってくる車はない、と考えて、誘導してくれたのだろうけれど、大きなお世話である。
確認せずに、誘導に従ってしまった自分のことも、腹立たしくて・・・クスン。

2005年12月12日

心の隅に

疲れた時とか、ぐたっとしちゃう時とか、シュンとなってしまう時とか、そんな時に、自分を元気付けるためのお気に入りのフレーズ、一言、メロディを持っている人は強いかもしれないな、なんてことを思った。

そのメロディが浮かんだとたんに、妙に元気に仕事に戻れてしまうとか、気分が急に明るくなるとか、とりあえず笑顔になれてしまうとか。そんな、とっておきの歌とか、言葉とか。

さっき、外でハードな内容の仕事を終えて事務所に戻ったとき、ふ、とそんなことを思ったのは、思わずお気に入りのフレーズが口をついて出て、その言葉に自分自身で笑った時にすごく心が軽くなったから。

いつもの陽気な自分に戻ることができる、魔法の言葉。歌。
人の心というのは、複雑なようで、意外に単純なとこがあるよね。

2005年12月11日

久々の休日

師走だから、というわけではないけれど、12月に入って、激動の日々が続いていた。
そんな中で心の支えとして楽しみにしていた友人Nちゃん宅訪問の日が訪れた。
ひょんなことから連絡を取っているうちに、偶然にも同じ趣味を持つということが発覚。
そこから「熱い」メールのやり取りが始まって、今日はやっと初対面、というわけ。
ご近所のYちゃんも参加して、三人でランチ。

パノラマで海を見渡せるリビングでいただくお食事は、とってもおいしかった。
Nちゃんお手製のさつまいもケーキも絶品(*^_^*)
大好きな味だったので、その場でいただいた上にお土産にしてもらってきてしまった。

Nちゃん宅は、小さいお嬢ちゃんがいるので子供用のおもちゃがたくさん。それがなにやらとても優しい空間で、その中で楽しいおしゃべりをしていると、心がどんどん癒された。
帰りには、Yちゃん宅で巨大ツリーを鑑賞。日本の住宅では考えられない、贅沢な空間の使い方で、天井に届きそうな勢いのツリーが飾られていた。外国映画に出てくるような・・・。

楽しかった(*^_^*)
とても良い休日を過ごすことができた。

留守番組のプーシットさんと双子っちに感謝。

ちょっと距離はあるけれど、また遊びに行きたいな。

2005年12月09日

目のチカラ

ものすごく、ワクワクするお仕事をいただいた。
すごく大変なのは分かっていたけれど、どうしてもお引き受けしたかった。
クライアントも、弊社に任せてくださると言った。

だけど、時間的な制約で、どうしても、お引き受けすることができなかった。
すっごく、くやしい。

ギリギリまで、頑張ってみたけれど、今の自分の力ではどうすることもできない。
心の底から、やり遂げたいと思っていた仕事だったのに。
そんなこんなでちょっとヘコミ気味だったところに、通訳のお仕事が来た。
こんなこと言うと不謹慎だけれど、気を紛らわすのにちょうどいい、と今回は久しぶりに自分で通訳の現場に立った。
集中して通訳をしている間は、余計なことを考えなくてすむ。

通訳に呼んでくれたのは、なじみのクライアント。
ちょっとした事件が発生したので、その対策会議の通訳だった。
ある人が、自分の発言の後、0.5秒間、目にチカラを込めて、私をジッと見た。
その目を見て、その人の本当に言いたい事が分かった。

その人の目は、
「分かるでしょ? 分かって!」
と訴えていた。

だから、私も
「そういうことですか。了解。」
というメッセージを込めてその人を0.5秒だけ見つめた。

その場にいた他の5人は、私達の無言の会話に全く気づいていなかった。
目のチカラって、すごい。

通訳の現場も、楽しいな。

帰り道は、少し元気が出た。 

2005年12月07日

社長の視点

「社長」がタイに戻って来た。

私は以前日系企業で「社長秘書」なんてものをしていた。
なんかすごい肩書きだけれど、内情は、ただの「社内通訳」である。
秘書の仕事はほとんどしなかった。
スケジュール管理も全て、自分でこなされる社長だったのだ。

それでも、この社長の側でたくさんのことを学ばせていただいた。
秘書はいい加減でも、社長はとてもしっかりした、すばらしい方だったのだ。

部長クラスの皆さんが自分の受け持ち範囲のことしか見ていない時に、社長だけはもっと広い視点から物事を捉えていた。
周囲の人にわかるように、物事を形にすることが上手で、事あるごとに、「記念パーティー」「お祝い会」などを開催して、社員の士気を高めた。そうして、その席で、会社の方針などを、繰り返し皆に説明した。日本人駐在員さんも、タイ人マネージャーさんも、この社長のためなら、頑張ろう、という人達ばかりだった。

「社長」という肩書きはいくらでもあるけれど、人の上に立つことのできる本物の社長はそう多くない。
「人としての、大きさが違うんだよなぁ」とつぶやいている人がいた。
「格が違うよ」と自分のことのように自慢気に言う人もいた。

社長の側でいろいろ学ぶことのできた私はものすごい幸せものだと思う。
社長の側にいるだけで、心遣いとか、筋を通すとか、いろいろと吸収できて、政治家を志す人が、なぜ政治家の秘書からスタートするのかが良く分った。

その社長も、5年前に日本に本帰国した。その後しばらくして、私も会社を辞めた。

その社長が、久しぶりにタイに遊びに来た。我がオフィスにもよってくださった。こういう、気さくなところも、この社長の魅力。

社長として、工場の中を歩いていた時と、少しも変わらない、お元気な姿。
聞けば、もう70歳を超えているという。

・・・我がメンターといい、社長といい、どうして、この年代の方というのは、元気で、はつらつとしていて、そして、人間的魅力にあふれているのだろう。この年代には、何かがあるような気がして仕方がない。

私は、あと40年で、あんなに魅力的な人間になれるだろうか。それ以前に、あと40年後も、あんなに元気でいられるだろうか・・・。
久しぶりに再開した社長に、たくさんの元気をいただくと共に、大量の宿題もいただいた気がした。

無事帰還

3日間、ハリポタワールドに旅立っていたぷーしっとさんが、無事帰還した。
いやぁ、よかったよかった。

本好きにとって、好きな本を読む時間というのは、とても大切。
何に邪魔されることなく過ごせると幸せだよね。

私自身は、好きな映画も本も、もう少し自分に余裕が出てきたときの楽しみに取ってあるので、今は見ないけれど、夢中で読んでいるぷーしっとさんを横目で見ながら、少しだけ一緒に旅した気分。

今、純粋に楽しむためだけの読書をしても、いろいろなことが気になって、心の底から楽しむことはできない、とわかっているので、気がかりがなくなって、本当にリラックスできるようになったら、また読書を再開しよう。その頃には、お友達と読書会とかしたいな。
将来の楽しみがどんどん増える、今日この頃。

2005年12月04日

魔法のプレゼント

ハリーポッターの第6巻「混血のプリンス」タイ語版が昨日から発売。
発売日前日に予約して、発売当日買いに行く、という駆け込み購入をするプーシットさんにつき合って、本屋さんに行った。すると、かばんから予約券を取り出しながらお店に入ってくるたくさんのお客さんがいた。どの顔も、ついに購入できる、という嬉しさを隠せずに、ニコニコしている。

つられて私も嬉しくなった。

本と一緒に、おまけがついてきた。
今回のは、「魔法の黄金水」。願い事が成就するお守りだって。

たしか、魔法の帽子をもらった時もあったよね。こういう、ちょっとしたおまけもすごく嬉しい。

ハリーポッターは、誰よりも作者に幸運をもたらした、というけれど、読者に対しても、確実に幸福をお届けしているよね。
残念ながら、私は今は時間的に、ハリーポッターの小説を読んだり映画を観たりすることはできないけれど、もう少し余裕が出たら、まとめて楽しみたい。今見なくても、きっと大丈夫。ハリーの魔法はまだとけない。

そして今日はさらに嬉しい出来事。マイミクのうっちさんがシーフードを食べにやって来てくれた。
うっちさんからのお土産はなんと!手作りのウメシロップ。 その場でミネラルウォーターに混ぜてみたら、おいしい梅ジュースに変身!! 

子供の頃、両親が梅酒を作るついでに作ってくれた梅ジュースを思い出した。全く同じ味がする。
暑い時期に飲むと食欲がわいたものだ。飲むたびに子供の頃を思い出して幸せな気持ちになる、こっちも、魔法のシロップだ。
手作りの品をもらうっていうのは、格別に嬉しいものだと実感した。

ケーキ屋さんの正体

シーラチャに、おいしいケーキ屋さんがある。
タイには珍しく、生クリームのケーキが食べられるお店。
伊勢丹から銀座ライオンがなくなった日から、5階のパン屋さんのシュークリームでしか食べることができなかった生クリームである。貴重なのだ。

そこのレアチーズケーキも絶品で、毎週のように通っている。

常々気になることがあった。

ケーキの売り上げだけで、店舗を維持していけるのだろうか。

大きなお世話である。大きなお世話であるのだけれど、おいしいお店には、たっぷり儲かって、長続きしていただきたい。だから、気になっていた。
何しろ、この店がなくなったら、また生クリームが食べられなくなってしまうのだから、事態は深刻である。

平日はよく知らないけれど、週末は途切れることなくお客さんが入ってきている。
カウンターとテーブルをあわせると20名弱の座席数。

それでも、ケーキとコーヒーで一人120B程度だろうか。人件費やコストを考えたら、がっぽり儲かる、というよりは「ぼちぼち」程度だろう。

そんなことをぼんやり考えていたのだが、今日このケーキ屋さんの真の姿を知ってしまった。

深刻そうに電話をしているケーキ屋の奥さん。小さい店だし、本人の声がでかいので、そのつもりがなくても、全て聞こえてしまう。
「夜中に、帰ってきた日本人の部屋の水が出なくて困っているの。なんとかならないかしら。」

なんと、ケーキ屋さんは、アパートを所持していた。おぉぉ!不労所得!!
ケーキ屋さんは、大家さんだったのだ。

ということは、ケーキ屋さんの方は趣味で、本業は大家さんなのかもしれない。
じゃ、赤字が出ない程度に利益が出ていれば、お店は続けていくのだろうね。

帰り道にそんな話をしながら、ホッとした私とプーシットさんであった。

2005年12月03日

新たな発見と素敵な出会い

会社で、宣伝用のメモ用紙を作ることにした。
会社のロゴ入りで、電話のそばに置いて使っていただきたい、そんなかわいいサイズ。

スタッフのモットさんにデザインをお願いした。彼女は、会社のカレンダーをデザインしたり、ウェブサイトのデザインをしたり、いろいろと器用にこなすのだ。

それでも、メモ帳である。端の方に会社のロゴをチョコチョコいれるだけであるから、デザインも何も、とにかく普通にメモ帳ができるものだと理解していた。

そうしたら・・・ものすごいのができてしまった。

全く、私の想像をはるかに超えた、美しいデザインのメモ帳ができた。奇をてらった訳ではなく、シンプルなデザインなんだけれど、見る人を「ハッ」とさせる力があるのだ。

モットさんは天才かもしれない。

いくつか作ってくれた案のうちから、多数決で選んだデザインを印刷所に送信。

印刷所には、苦労していたのだ。
少量の印刷を嫌がったり、お客の問い合わせに面倒臭そうに答えたりするところばかりで、「商売する気あるの?」と思うようなところばかりだった。おそらく、現状の取引先で手一杯なのだろうけれど。

ところが最近、良い印刷屋さんを発見。これもモットさんのお陰なんだけれど、インターネットに宣伝を出していた近所の印刷屋さんに「こんなところを見つけたので、ちょっと行ってきます」と、バイクでピューっと走っていって、印刷屋の社長さんといろいろお話をして、そこでカレンダーやらメモ帳の印刷をしてもらえることになったのだ。
彼女の持ち帰った作品例を見てみると、この印刷所、なかなか良い仕事をしている。日系工場で使用するシールやチェックシートの仕事が多い、ということで、確かに日本語の印刷物もあった。値段も良心的。

うちの会社も、印刷物には縁があるだけに、これからもよいお付き合いをさせていただけそうな、嬉しい出会いである。

さて、モットさん作の、メモ帳データを印刷所に送った後の、印刷所社長の言葉が、これまたものすごく良かった。

「とてもきれいなデザインだね。さ、ここから先は僕の仕事だ」

自分の仕事に対する誇りが感じられる言葉ではないか。こういう「プロ」と一緒に仕事をできることをとても光栄に思った。
と同時に、印刷のプロに「きれい」と褒められる作品を作り出した、我がスタッフのことも、とても誇らしく思った。

だって彼女、確か今日の午前中は銀行や郵便局に出かけていた。午後からおもむろにマッキントッシュの前に座り、チョコチョコとやっていたかと思うと、すばらしい芸術作品を生み出していた。
スタッフの才能を改めて実感するとともに、こういう才能をどんどん活かして活躍してもらえるような仕事を考えていこう、と思った。

2005年12月02日

巨大化

先日、つま〜ずの会で、この時期はあまりおいしい果物がない、という話題になって、その時には思い浮かばなかったけれど、今の季節においしいのは、ずばり「梨」だと思う。

タイで一般的に売られている梨は、実が小さくて、芯の近くはガリガリしている。
でも、最近、少し大きめの梨が出ていて、それは甘みたっぷりで、おいしいのだ。
サーリートーン(黄金梨)と呼ばれるその梨がおいしくて、我が家では毎日のように食べている。

最近、こういうサイズを大きくするフルーツが多く見られる。

サイズを大きくすると、果実の部分が増えるので、おいしさ増大である。
例えば、リンチーの巨大版。ノイナーの巨大版。そして梨の巨大版。
それから、少し前までは見ることもなかった、大粒ブドウ。

大きめサイズのフルーツをほおばりながら、幸せを実感する今日この頃。

もうすぐ、もっと嬉しい季節。みかんのおいしい季節がやってくる。
私は、1年のうちで、年末年始のみ、みかんを食べる。皮が薄くなって
丸ごと食べられるので、日本のみかんを思い出す。
味も絶対、この時期のものが一番おいしい。

去年は、お歳暮代わりにTOPSで箱入りみかんを買ってじいじばあばにプレゼントした。
味見したらめちゃめちゃおいしいので、慌てて自分達の分も買いに行った。
今年も、たくさんたべるぞ!と今から楽しみにしている私である。

2005年12月01日

月光市場今昔物語

近所に、「月明かりの市場」というロマンチックな名前の屋台街がある。
パッタイ・ホイトートなどの鉄板焼、
カオマンガイなどのご飯物、
ソムタム・ガイヤーン、
クィッティアオ・カノムジーンなどの麺類、
アハーンタームサン・その場にある材料でお好みの物を作ってくれるご飯屋さん
ジュース屋さん、ナムトーフー(豆乳スープ)屋さん、かき氷屋さん・・・

それらの、どれもが奇跡的においしい屋台街だった・・・

そう。過去形なのだ。

8年前、私がこの地にやってきた頃がこの市場の最盛期だった。
どのお店のご飯も、その頃の私にとっては、タイで一番おいしいご飯達だった。
私にとってだけではなく、タイの人にとってもおいしいらしく、朝も昼も夜も、
店は大勢の人で賑わっていた。

その後、立ち退きのような形で、屋台街全体が200Mほど移動した。その頃からだろうか・・・。
あれだけ賑わっていた屋台街に、人の姿がまばらになっていったのは。

味が落ちた訳ではない。しかし、客足が少しずつ遠のき、屋台街全体から活気が消えていった。
そして、「衰退」の影が忍び寄ってくると、各屋台の人の個々の努力では対抗できない、大きなうねりとなり、屋台街を飲み込んでしまった。

売り上げがかつての半分に落ち込み、これでは生活できない、と旅芸人の様に、各地のお祭りを追いかけて屋台を出展する形式に転向した屋台もあった。

「あそこに行けば、なんでもあるよ」
と言われていたかつての面影は、もうどこにもない。

屋台の人たちは、自分達なりに現状分析をしていた。
200M移動したことにより、立地がメインロードから外れてしまったのでお客さんが入ってきづらくなった。
周囲に屋台やレストランが増えたので、そっちにお客を取られてしまった。
今の若い子はダイエットを気にして、肉料理を食べない。

そして、昼に配達を始めるなど、どこも必死にかつてのあの「月明かりの市場」を取り戻そうと努力したが、もう、お店の数も半分以下に減り、寂しい雰囲気すら漂うようになってしまった。

ビジネスの世界では、全てのビジネスには創生期、成長期、停滞期、衰退期、の各段階があり、うまく成長期のビジネスに参入すればさほど努力しなくても成功するものだ、ということが言われることがあるが、全てのビジネスに寿命があるように、市場、屋台街にも寿命があるのだろうか。

市場全体を包む暗雲のような重苦しい雰囲気は、売り上げの増大のための各お店の様々な取り組みを飲み込んで、成長し続ける。

おいしいご飯が食べられなくなることが残念で、どうにか市場の復活ができないものか、と願っているのだけれど、私の願いは、果たして、かなうのだろうか・・・。