2006年03月01日(水)
スタッフの失踪 [タイで仕事]
月曜日にオフィスに到着すると、来ているはずのスタッフの姿が見えない。
あれ?今日彼女は休みだっけ?
しかし、休暇届は出ていない。
寝坊したかな?
しかし、30分たっても現われない。
携帯電話に電話をかけても通じない。
別のスタッフに尋ねてみても、なぜ出社しないのか分からないという。
彼女の友達に連絡をしてもらうと、嫌なことが分かった。
彼女は金曜の夜に近所に引越しをしたらしい。
そして、その後彼女と連絡を取った人はいない。
連絡網の様に、知り合いから知り合いに連絡をするが、誰も彼女の居場所を知らない。
彼女の恋人ですら、居場所が分からない。という。
携帯電話が通じないから、どこにいるのか分からないのだ。
彼女の恋人は言った。「午後から会社を休んで彼女の新居に様子を見に行ってみます」
嫌なパターンになってきたな、と思った。
こういう場合、本人は連絡が取れない状態になっていることが多い。事故に遭って病院にいるとか、最悪の場合は、もっと別の場所にいるとか。
タイで事故に遭った場合、病院や警察から本人の家族や関係者に連絡が来ることはまずない。だから行方不明になった人がいたら、家族や友人が、病院や警察に問い合わせの電話をする。
昔勤務していた会社で何度か見てきたことだった。
もしかして、大怪我をして入院しているかもしれない。
彼女の社会保険の指定病院をはじめとして、近隣の病院に片端から電話をかける。知人を通じて警察にも問い合わせの電話をした。
そんなこんなで、みんななんとなく仕事に集中できない状態が半日続き、午後になって、本人から連絡が入った。
引越しの片付けが終わらず、徹夜したので疲労困憊寝込んでいたのだという。
様子を見に行った恋人が発見して、すぐに会社に連絡をくれた。
「すみませーん」
という本人の声を聞いて、力が抜けた。
まずは一安心である。
翌日、友人や恋人からたっぷり叱られた、という本人に、今度やったらボーナス半分カットね。ときつーいお灸。
でも、無事でいてくれて、本当によかった。
Posted by てんも at 00時16分 パーマリンク
2006年02月23日(木)
I will survive. 〜僕は生きていく〜 [タイで仕事]
初めての翻訳本が完成。とても綺麗な本にしていただいた。
エイズで両親を失ったエイズ孤児達が社会(特に学校や医療施設の人々)の偏見や差別にさらされながらも、血のつながりのない育ての親の愛情に恵まれ、たくましく生きていく、実話に基づいた3つの物語。
タイ赤十字社とチュラロンコン大学の共同企画で、物語の執筆はチュラの医学生が担当した。
この物語を各国語に翻訳するにあたり、日本語訳を弊社が担当させていただいたのだ。
少々の医療専門用語も含まれていたので、日本語の校閲は私の前の職場の先輩日本人女性Yさんにお願いした。
その時はじめて、Yさんがチェンマイにあるエイズ孤児施設の理事をしていることを知った。
月に数度、週末に夜行バスでチョンブリからチェンマイまで様子を見に行くらしい。
Yさんから興味深い話を聞いた。
最近ロングステイでチェンマイに滞在している日本人ご夫妻から、ボランティアで施設を訪問して子供達にクッキーの焼き方を教えてあげたいので、車で送迎してくれないか、と申し出を受けた。
施設に常駐している日本人の方は丁重にお断りしたという。
なぜか。
施設に送迎車を出すほどの余裕がない、というのが一つの理由。
もう一つの理由は、バターのたっぷり入ったおいしいクッキーの味を覚えてしまって、その後もクッキーばかり食べたがって施設のごはんやお菓子を食べないようになると困る、というものだった。
常に子供達と一緒にいる方からすると、一般の人の好意による申し出が、ありがた迷惑になることもある。しかし、ロングステイのご夫妻はもちろん好意から申し出をしたのだから、断り方もすごく難しかっただろうと思う。
ボランティアというのは難しいものだ、とつくづく思った。
Posted by てんも at 00時00分 パーマリンク