2006年09月13日(水)
もう一人のタイ人留学生 [タイで生活]
外国からタイに戻り、タイに溶け込めないでいる友人の姿は私にとって他人事ではなかった。少なからぬショックを受けながら、あるタイ人女性のことが思い浮かんだ。彼女は8歳からシンガポールで中国語と英語を使いながら生活をし、長期の休みを利用しては日本へ短期語学留学を繰り返し、最終的にはタイの大学を卒業した。完璧なまでの日本語と英語を操り、もちろんタイ語はネイティブ。中国語は私には分からないのだけれどやはりきちんと話せるらしい。
昨日の彼女と似たような経験をしてきているが、こちらの彼女からはタイで生活していることの不満を聞いたことがなかった。だからどうしても彼女の話を聞きたかった。
そこでさっそく電話。気になっていたことを相談させてもらった。ちなみに、彼女との会話は全て日本語である。彼女は私が「こちらの伝えたいことをきちんと理解してくれる」と安心して日本語で話せる数少ないタイ人の一人なのだ。
「タイに溶け込めないのは、多言語を身につけたせいだからなのか、それとも外国に長く暮らしていたからなのかな」
「多分、外国で暮らしていたせいじゃないでしょうか。暮らしていた国も関係すると思いますよ。私はアジア圏から出なかったから、アジア的な考えが理解できているのだと思います。もし欧米に留学していたら、もっと違う感じ方をしていたかもしれないな」
「タイに溶け込めないと感じたことある?」
「私はあまりそういうこと感じないですね。いろいろ深く考えないからな(笑)個人差もあるかもしれないですね」
「4ヶ国語を流暢に話してるでしょ?外国での生活も長いでしょ?それで自分は一体なに人?と悩んだことある?」
「そういうアイデンティティーの悩みもなかったな」
「それは、周囲の環境に対して柔軟に対処できるからかな」
「そうですね。柔軟さはとても大切かも」
「柔軟な方が強いね」
「ええ。やわらかい方がしなやかで折れないですね」
ふーむ・・・。少し考え込んだ私に、彼女はこんな言葉をかけてくれた。
「大丈夫ですよ。てんもさんのお子さんは」
彼女はまだ私が相談する前から私の一番の心配事を分かってくれていたのだ。
「そうかな、大丈夫かな」
「うん。大丈夫。だってお父さんお母さんが優しいじゃないですか。何があっても親が見守ってくれるって信じられる子は柔軟になれるのだと思います。
「○○さんはそうやって育ってきたんだね」
「うん。そうかな。」
彼女の言葉から重要なヒントをもらった。言葉を習得するとき、言葉の習得だけに夢中になる前に、いろいろな地域のいろいろな考え方を容認できるような心構えが必要なんだと思う。そしてそれはきっと、家庭のいろいろな場面で子供に伝えていくことが可能なんだと思う。
「いろいろありがとう。また相談させてね」
「あまりお役に立てないと思いますけれど、私でよければ喜んで」
こんなに優しく綺麗な日本語を使いこなせるタイ人も珍しい。芯の強さをうかがわせる大きな瞳に、体全体から優しそうな雰囲気を発している彼女。彼女がいてくれる限り、希望が持てる気がした。
Posted by てんも at 09時55分 パーマリンク
2006年09月12日(火)
タイ人留学生たちのその後 [タイで生活]
古い友人と再会した。彼女と初めて出会ったのは日本。彼女は日本の大学に留学していた。
タイのお金持ち華僑は子供に複数言語を身につけさせるべく、小さい頃から英語圏で生活させることがある。彼女もその典型的なパターンで子供の頃はマレーシアで育った。小学校4年生でタイに戻り、そこで初めて本格的にタイ語の勉強をスタートさせた。高校はタイでトップの進学校。そして大学は日本に留学。
私と出会ったときにはネイティブとしてタイ語を操り、英語ももちろんペラペラ。祖父母の影響で中国語も話せれば日本語も勉強中ながらしっかり使いこなしていた。
そしてその後アメリカに渡り、大学院を卒業してタイに戻ったのだという。
4ヶ国語を操るスーパーな彼女だが、久しぶりに再開してみると、意外にもタイで幸せに生活しているとは言えないようだった。
彼女は私に向かって何度も聞いた。
「タイで生活していて、楽しい?」
海外生活の長かった彼女はタイでの生活に溶け込めないでいるようだった。タイ人的な仕事の仕方に我慢できないからタイの会社では働けない、とフリーランスで仕事をしていた。
そして、日本留学時代の友人の一人も同じような問題を抱えていると教えてくれた。何でもズバズバと口に出してしまうので周囲のタイ人とうまくいかないのだとか。
別の友人はスタンフォード大学を卒業後「自分はタイに戻ってもタイでは生活できない」とアメリカで暮らしているという。
もちろん4ヶ国語を操る彼女は語学の才能を活かしてフリーランスで好きな仕事をしているし、スタンフォード大学を卒業した彼女もアメリカで活躍している。それでも彼女達は自分が「一般的なタイ人の枠組」からはみ出してしまったことを意識しているようだった。
あの頃日本で一緒にタイ料理を作って遊んだ友人達が、大人になって誰一人としてタイで普通に生活していないことが気にかかった。
Posted by てんも at 10時39分 パーマリンク
2006年09月11日(月)
KFCは危険地帯だった [タイで生活]
ケンタッキーフライドチキンのことを、学生時代の友達は「ケンタ」と呼んでいた。タイの人は「ケーエフシー」と呼ぶ。
久しぶりにそのKFCで食事をした。そろそろ食べ終わる、という頃アイスクリーム売り場のお姉さんがアイスクリームメニューを持ってやってきた。
「食後にアイスクリームはいかがですか?」
「・・・そう?食べようかな?」
と、お姉さんの笑顔につられてその気になる私達は優良顧客。
なんとアイスクリームをテーブルまで届けてくれて会計もテーブルで済ませてしまった。こんなファミリーレストランのようなサービスをしてもらったら、ついつい注文してしまうではないか。
実はこの食後のアイスクリーム・メニュー攻撃はここがはじめてではない。別の支店でも同じことを経験した。その時はその支店の女の子が特に気が利くのかと思ったのだけれど、実は全店で同じようなサービスをシステム化しているらしかった。
少し前までスウェンゼンで「アイスクリームはおいしいですか?」と客に質問して廻る店員さんがいたが、あれよりもよほど売り上げに貢献している仕組だと思う。
Posted by てんも at 12時59分 パーマリンク
2006年09月10日(日)
自転車こぎで気づいたこと [タイで生活]
相変わらず自宅で自転車こぎをしている。それで、ちょっと気になることがあった。
5時45分に自転車がおいてある部屋に入り、自転車のタイマーを15分にセットしてこぎ終わって部屋を出ると、ちょうど6時になっているはずが、すでに6時10分ぐらいになっているのだ。計算が合わない。この10分間の差はなんだろう?
自転車についているタイマーの電池が少なくなって遅れてる?と思ってiPodのタイマーと比較してみたら、正確に動いていた。
ということは・・・???
しばらく理由が分からなかったんだけれど、どうやら。あまり認めたくない現実なんだけれど。
時計を見てから部屋に入りタイマーをスタートさせて自転車を漕ぎ出すまでの間に10分ぐらいかかっているようなのだ。
私は一体何をしているのか?
よくよく自分を観察してみると、水をコップ一杯飲んだり、iPodをかばんから取り出したり、そんなことをしているようだ。
そういえば自分はすごくノロノロ・トロトロ動くのだった、と今更ながら思い出した。「心地よいペース」というのは人によって違うけれど、私はそれが平均よりもかなり遅い。
改めて自分のとろさを実感して、おかしくなった。
Posted by てんも at 11時50分 パーマリンク
2006年09月09日(土)
はちみつ五月 [タイ料理]
OTOP(One Tambon One Product:一村一品運動)のお祭りではちみつを売っていたので買ってみた。もちろん、ヨーグルトはちみつに入れるのが目的。
まったく知らずに買ってきたけれど、スタッフによるとおいしいブランドなのだそう。その名も「ナムプン・ドゥアンハー:はちみつ五月」なぜ5月という名前なのかは書いていない。
謎なのは、付いてきた説明書の英語の名前。April Honeyだって。4月じゃん。どっちが本当なんだろ?
はちみつはスプーンですくってもついたらしてしまったりして手がベタベタになるのが嫌なんだけど、このボトルはすごい。ふたを開ける必要がない。ふたを回すと穴が出現。手を汚さず、スプーンの必要もない。
Posted by てんも at 01時26分 パーマリンク
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