2007年12月17日(月)
コショウたっぷり [アメージングタイランド]
トムヤムクンなど、辛くて有名なタイ料理だが、タイには辛くない料理もある。
ただし、注文の時にうっかりある一言を忘れると、辛くない料理が辛い料理に変身してしまうことがある。
それは「コショウを入れないで」という言葉。
人にもよるのだが、サービス精神旺盛なおばちゃんが盛り付けしてくれる時など、仕上がりにバンバンとコショウを振りかけてしまうことがある。料理の色が変わるほどの量である。
コショウさえ入ってなければ・・・と思う料理もある。
写真のスープはカオ・マン・ガイ(茹でたチキンのせご飯)についてくるスープ。底に沈んでいる塊、これ全てコショウである。コショウはスープに入ると沈むらしい。
そっと上の方だけすくって飲んだ。
Posted by てんも at 12時39分 パーマリンク
2007年12月16日(日)
脳が冴える15の習慣 続き [読書の記録]
「フォーカス機能で目を動かす」の他にも、嬉しい話が盛り沢山だった。
例えば、「家事や雑用は脳のトレーニングに非常に効果的」という話。
家事は次々と判断力が要求されるため、脳のトレーニングに向いているのだという。
それから「忙しいときほど「机の片付け」を優先させよう」という話。
これはちょっと耳が痛い話だった。
この本の影響か、気分的に年末が近いからか、なぜか家の大掃除をしてしまった。不要物を処分したら、なんだか家が広くなった。
毎日の生活を前向きに過ごせるようになる、嬉しい話が満載だった。
Posted by てんも at 00時41分 パーマリンク
2007年12月15日(土)
脳が冴える15の習慣 [読書の記録]
現代人を取り巻く環境の中で、10年前と今とでもっとも変わったことは何か。
その最大の一つは「小さな平面を見ている時間が長くなった」ということだという。
ここですでにギクリ。
仕事とはいえ、一日中パソコンの前に座っている自覚がある私には、非常に気になる情報満載だった。
「長時間パソコンに向かって作業をしたり、何時間も続けてテレビを見たりした後、外にでてみると、周囲の風景がガチャガチャと雑然として見えてしまい、情報がうまく取れない不安を感じる。
これは、長時間画面に集中していたために、その角度、距離感から、視覚的注意の向け方が変わりにくくなっているためだと考えられます。」
たしかに、外出時に遠近感がうまくつかめずフラフラすることがよくある。
「このこと事態は一時的な現象で、脳機能の低下とは関係ありません。ところが、目を動かさない時間があまりにも長い生活を毎日、何ヶ月も続けてしまうと、簡単には戻らなくなるということが起こり得ます。」
さらにギクリ。これは大問題である。自覚症状があるだけに、なんとかしなければ。解決策は目のフォーカス機能を使うことだという。
意識して思い切り遠くを眺める、思い切り小さな世界に焦点を合わせる。そうやってダイナミックに目を動かしていると、脳のフォーメーションもダイナミックに切り替わり、思考に柔軟さが出てくるという。
たしかに、遠くを見るだけでも脳を内側からマッサージされているような心地よさを感じる。目を動かすことを心がけようと思う。
Posted by てんも at 00時42分 パーマリンク
2007年12月14日(金)
財務3表一体理解法 [読書の記録]
財務3表とは、もちろん「損益計算書」「貸借対照表」「キャッシュフロー計算書」のこと。そのそれぞれが、どうやってつながっているのかを図で解説してある。
簿記を勉強しなくても会計がわかる! が宣伝文句だったけれど、簿記を勉強中の身にも復習をかねて非常に勉強になった。
たとえば、事務用品を5万円分現金で購入した場合に、貸借対照表の右側の借入金も資本金も変化しないのに、左側は現金が5万円少なくなって左右がバランスしなくなる。
これをどう考えたらいいのか、そんなことが解説されている。会計の勉強をスタートさせた時に読んでいたら、もっと楽に会計の基礎が理解できただろうと思った。
最後の章では、税効果会計や債務の株式化など、新しいキーワードについても図で解説されていて、「なるほど!」と納得することができた。
Posted by てんも at 06時23分 パーマリンク
2007年12月13日(木)
ハリーポッターのタイ語訳 [タイで生活]
先週タイではハリーポッター最終巻のタイ語訳が発売された。
というわけで、私がクロワッサンを買った隣でだんなさんはハリーポッターのタイ語版を買っていた。
タイ語版最終回の訳者まえがきに、面白いことが書いてあった。最終巻を担当した翻訳者さんが、同じく自分が担当した第6巻に誤りがあったと謝罪しているのだ。
最終巻で重要な意味を持ってくる、指輪に刻まれているある一族の姓を、第6巻で翻訳しなかったという。
指輪に刻まれていたというその一族の姓は、それまで物語に1度も登場せず、しかも第6巻の中でもたった1度しか出てこなかったらしい。そこで訳者は悩みに悩んだ。しかし、いろいろな人に意見を聞いても「特別な意味を表す単語ではなく、一族の姓である」ということしか分からなかった。
そして訳者は、説明もなく突然ただ1度だけ出てくるこの姓を、タイ語訳では省略する決断をした。
ところが最終第7巻にて、6巻で省略したこの言葉が実は非常に大きな意味を持つことが判明した。そこで訳者は7巻のまえがきで謝罪の言葉とともに、この言葉を6巻222ページ下から4行目に追加するようにとお願いしている。
シリーズ物の翻訳を、終着点が見えぬまま訳していく難しさを表している出来事だと思った。
外国の物語は、なじみのない植物や食物の名前や生活習慣など、説明なしでそのまま訳すと分かりづらいところがある。かといって、説明調になりすぎては物語のリズムが失われる。そこで翻訳者はいかに自然な訳語で、内容を正確に読者に伝えるか、というところで言葉と格闘することになる。そこが翻訳の難しいところでもあり、面白いところでもある。
この訳者さんは原作を読み込んで真剣に翻訳に取り組んだのだと思う。だから、最終巻を翻訳した際に6巻での翻訳ミスに気づいた。1語1句きちんと訳していなければ気づかなかったかもしれないミスに気づき、謝罪した。
きっとこの訳者さんは、これからも良い仕事をすると思う。
Posted by てんも at 00時29分 パーマリンク
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